遠い遠い昔、奈良の都の時代、君津市八重原の地は上総国周准
郡とよばれていました。その中心となる当店の北側方面一帯には当
時郡の支配者が建立したと言われる立派なお寺がありました。
 このお寺は各国にあった国分寺と対峙するような堂々としたお寺で
ありまして、九十九坊と呼ばれ古代からの地名ともなっておりました。
この名称は数多くの伽藍があった(九十九谷や九十九里のように)と
いう説と九十九の坊(僧の居住所)があったという説もありますが、六
千坪から一万坪の境内ももっておりました。
 多くの古文書や調査で、塔の礎石や布目瓦、伝説の多い犬石、
蛇石、牛石等の存在が確認されて、それら各種の遺構から考察して、
金堂(本堂)、塔、講堂、僧坊、中門、南大門を備えた大規模な寺院で
ありその伽藍配置は法隆寺とよく似たものでありました。
 房総半島の中心部に位置するこの地域は、古代より都の王朝文化
との接点も多く、さらにこの大寺は郡内各地域との交通の要所であっ
たことからも、仏法を学ぶだけでなく学問や文化、情報伝達の要所で
あったことが考えられ、集い来る人々の情熱がしのばれます。
戦国の世、安房の里見氏と小田原の北条氏との対立で等地域でも戦
乱が多く残念ながら全伽藍を焼失してしまいました。
 遠き昔の先人のの方々は、どんな未来を描いてこの九十九坊で仏
法や学問に瞳を輝かせたことでしょう・・・・・
当店店主、誠に浅学非才の身ではございますが、この家に育ち今日
ある御礼を込め、この度、鹿野山伏流水を添えまして、往時を偲ぶひ
と時を過していただけたらと存じ一筆させていただきました次第でござ
います。
                                  亭主敬白